おいらの履歴を棚卸してみる ①小学・中学編


ヤバい。

1週間近く間を開けてしまった。できれば毎日更新、最悪でも週3回は新規記事を出そうと思ってたのに。

何も書くことが思いつかなかったのだ。特に書くことがないという状況になってしまったが、こういう場合はどうすればよいか。

 

というわけで、おいらのこれまでの履歴と経験を棚卸してみようと思う。

おいらの子供の頃は、運動が大の苦手な、動物好きな男子だったと思う。

よく昆虫採集とかしてたな。ゴキブリは大の苦手だが。

小4のときに友達に「一緒にやろう」と言われて何となく吹奏楽部に入った。ただやる気はなかったので、よく先生に怒られてた。本心はそこまで好きではなかったのかもしれないが、音楽の本当の魅力に気づけてなかったのかもしれない。とにかくやる気もなく下手でもあったから、正直吹奏楽部ではお荷物だっただろう。当時の仲間たちはよくこんな奴に付き合ってくれたものだ。今思うと感謝と申し訳なさでいっぱいだ。

 

中学に入ると、吹奏楽部に誘ってくれた友達は別の部に入ってしまったが、俺はなぜか吹奏楽部に入った。「内申書に響くから、とりあえず部活には入っておきなさい」との周囲の勧めだったが、そうすると運動はしたくないし、文化部ならとりあえずは軽んじられない吹奏楽部はうってつけだった。今は違うのかもしれないが、当時は運動部重視で、文化部は軽んじられる空気があった。ただ吹奏楽部は例外みたいな空気だったのだ。

で、吹奏楽部に入ったのだが、相変わらずやる気がなくて下手くそなので、先生に怒られることもしばしばで、クビを宣告されたことすらある。それでも辞められなかったのは、内申書の評価が下がるからだ。それがなかったら何のためらいもなく辞めていたかもしれない。ただ内申書のためだけに先生に頭を下げた。今思えば、この経験があったからこそ、何とか頭を下げることができるようになって、少しは人生がマシになったのかもしれない。もっとも、この件では先生は何も悪くないのだがw

 

部活は何とか3年間やったが、それでも内申書は最悪だった。宿題とかの提出物が大嫌いだったから、どんなに先生に催促されても最後まで提出しなかった宿題がいくつもある。何で出さなきゃいけないんだろうとずっと疑問に思っていたし、本当に嫌だった。今思えば、やりたくないことに時間を割かれるのが嫌だったのだろうな。

ただ、テストの成績は中の上くらいだったから、勉強自体は嫌いではなかったのかもしれない。ただ、宿題は大嫌いだった。この性格は今も影響を及ぼしている。その証拠に、このブログも1週間近く空けてしまっている。自分でやると決めたことなのに、こんなことでは収益化は厳しいかもしれない。困ったものだ。

 

そして高校受験。内申書は悪かったが、成績は悪くはなかった。しかし、「内申書は、君が志望している高校より10偏差値下げた高校でも受からない」と先生に言われるぐらい悪かった。その影響か、第一志望の県立高校は落ち、第二志望も落ちた。そして滑り止めの第三志望の高校に行くことになるが、その授業料の額を見て、親は目玉が飛び出るほどに驚いていた。その点は親に申し訳ないと思う。

 

行くことになった授業料の高い私立高校。だが、今にして思えばラッキーだったと思えることもあった。

それは大学の付属高校だったこと。そのおかげで、センター試験ほど難しくなく大学に進学することができた。

 

長くなりそうなので次回へと続く。


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