おいらの履歴を棚卸してみる ②・高校、大学編


日大習志野高校。

授業料がめっちゃ高い私立校。この点では親に多大な迷惑をかけたと思う。ただ、当時の家からは自転車で通学できるから、交通費はかからない。で、中学までとは違い、学力に差がなく、周りのみんな勉強ができるから、勉強しないとどんどん置いて行かれる。案の定おいらも置いてかれたw何度か赤点の羽目に遭ったw

それで高校も何となく吹奏楽部に入ったのだが、この高校は学業優先で部活にはあまり力を入れていないというのも衝撃だった。

ああ、これが進学校なのか。何とか必死に学業についていくが、このころに勉強に嫌気がさしたのかもしれない。

学業に専念する周囲と自分。なので、世間一般に言われるような高校生活の思い出というのはあまりない。

高校の青春とかメディアなどではよく言っていたが、そんなものは無かった。ひたすらつまらない高校生活。

まあそれでも共学だったし、女の子とも話す機会はあったがw

それで日大の付属校には、日大に進学する際には、全部の付属校で入学試験がある。付属校なのだからそのまま持ち上がりと思われるかもしれないが、実はそうでもない。この試験を突破できるのは全付属でも上位3割ぐらいというなかなか狭き門だった。まあそれでも突破して、そのまま日大に進学できた。

 

日大法学部。法律のことなんて何も知らないし、興味もさほどなかったのに、なぜ法学部にしたのかというと、授業料が比較的安いからという理由だったwそれでも授業料は高いので、バイトもした。

サークルは高校時代の先輩の勧めもあって、オーケストラに入ってみた。皆上手く、俺だけ下手くそみたいな状況だったが、皆さんいい人たちばかりだったし、逆に俺みたいなろくでもない奴に付き合わせてしまって申し訳ないとさえ思うw

 

だが、サークルと学業とバイトの両立は厳しい。生きてくにはお金が必要なので、自然とバイトが中心になり、学業はおろそかになっていった。周りの同級生は就職活動に躍起になってる中、しばらくはバイトで食いつなげばいいやと思い、バイトに専念してたら、留年した。結局、卒業までに7年かかった。

今思えば、いろいろと馬鹿だったなあとは思うが、当時は何の信念もなく、流されるままに生きていたのだと思う。

 

何か今回は書いてる自分でもあまり面白い内容ではなかったな。というか当時の記憶は結構あいまいなのでよく覚えていないのだ。他の人たちと同じようにそれなりに青春していたとは思うが、色々と黒歴史も多いので、思い出すのを脳が拒絶しているのかもしれないw

 

次回、派遣社員編に続く


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