おいらの履歴を棚卸してみる ③社会人編


バイトにいそしみ過ぎて留年を繰り返し、卒業までに7年かかった。もしかしたら卒業できなくて大学を除籍なんてことになる可能性もあったが、何とか7年目で単位が足りた。何かこのころは自分でもやさぐれてたのだろうとは思う。何もやりたいことがなかったし、とりあえずバイトでもするかってことでバイトしていた。正直辞めたいとも思っていたが、人の紹介で入ったバイトだったので辞めるに辞めれなかったという事情もあった。まあそんな感じで何とか卒業したと同時に、そのバイト先が廃業したので、次のバイト先を探してバイトをした。就職活動なんてしてなかったから卒業しても就職先は無かったし、当時はバブルが崩壊して不景気が一気に到来していた時期。何とか食いつなぐためにバイトをやったが、このままだと行き詰まるのは目に見えている。そんな時、駅に置いてあった無料のバイト募集の小冊子を見て、月収30万円とかの求人募集を見てやってみようと思い立ち、その派遣会社に登録することにした。その派遣会社は、工場の軽作業だったが、週6日、11時間で休みはほとんどなかった。だがそのためか給料はよく最大で月収31万まで行った記憶がある。ただこの派遣先は半年ほどで終わりになり、そのまま雇止めになった。その時に派遣会社から行きなさいと言われて行ったのがハローワークで、そこで職業訓練制度というのをやって、パソコンのワードとエクセルを覚えた。

その後で就職活動をしたがうまくいかず、再び先ほどの派遣会社に泣きついた。すると今度は別の派遣会社を紹介された。そこは前回のような短期ではなく、長期の人の募集だったので、8年ほどいた。

2日のサイクルで、昼勤、夜勤、休みを繰り返す職場だった。そして時間は12時間労働だった。当時は普通にやってたが、今ならたぶんできない。その会社の皆様にはとてもよくしていただいたが、色々悩んだ結果、うつを発症し辞めることになった。

 

うつを発症したが、生活はしなければならない。何とか職を探さねば。当時は不況が長引いていて就職先がなかなか見つからなかったが、派遣はもうこりごりだ。そこで何とかパートではあるが、派遣ではない職場に就職できた。

 

就業時間は前とは違って週5日8時間昼勤のみだったが、とんでもないブラックだった。ワンマン社長とその甥の工場長が絶対的な権力を持っていて、暴言パワハラは当たり前。今だったらさっさと退職していたかもしれない。だが当時は悪夢の民主党政権。働き口なんてなかった。

今の政治をひどいという人もいるかもしれないが、当時よりはだいぶマシだとは思う。当時に比べたら働き口あるし。まあ今の政治がよくないのは否定しないが。増税はダメだろ。ただ、当時よりはマシという事は覚えていておいてもらいたい。本当に働き口も無いんだよ。

そこには13年間いたが、本当に色々あった。これについては別の機会に。

最後の1年間だけ正社員になれたが、そこから1年で会社をたたむことになり、またもや無職に。

もう47歳。仕事なんて選んでいられないので、パートだったが印刷会社にとりあえず就職した。そして現在に至る。

 

まあおいらの経歴はこんなところだが、書いてみると案外うまく書けないな。書く時間もないし、忘れてしまっていることも多い。

 

これらの経歴を見る限り、おいらの長所ってなんだろうな?ますますわからなくなったw


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